年間100冊読んでみて思ったこと②

・はじめに

 とうとう師走になってしまった。しかし今年もなんとか年間100冊を読むことができた。とはいえ、「100冊読んだ」なんて虚仮脅しに過ぎないと自分でも思う。一週間に大体3~4冊のペースで読んでいれば自然と一年間に90~120冊にはなるのだから、土日の休日に一冊ずつと、平日に学校の行き帰りの電車で一冊読めばそれで100冊ぐらいになってしまうわけだ。つまり100冊という量は別にたいしたことじゃない。

 それに「100冊」の内訳だって、小説が100冊なのか、専門書が100冊なのかでも読書体験として質が違うだろう。もちろんそれは「良い/悪い」の違いではなく、「どんな100冊だったのか」という意味で違うだけである。もう少し具体的に言えば、知的好奇心を満たすための娯楽としての読書なのか、何かを研究するための読書なのかなどいった違いはあるだろうということだ。ちなみに僕の場合は「娯楽としての読書」である。だからこれも別にたいしたことじゃない。テクストを精読したり、読解ノートを作ったり、原文と翻訳を比較したりなど、そんな高等な読書術なんぞ僕はほとんどやったことがない。

 本を読むときの態度なんてのも、学問的で難しい内容ならば「へー、ふーん」とか「なるほど、なるほど」なんて具合にワケ知り顔で肯いておきながら、実のところ本の内容の30%も分かっているか怪しいところだし、小説に至っては僕が仏文の学生だからと言ってバルザックプルーストとかを読んでいるわけでもなく、一貫性も何もないまま手当たり次第に乱読している。しかも大抵は一冊で完結しているものしか読まない。

 というわけで、僕の読書はテキトーで中途半端なものなのだ。ただそうは言っても、日々の読書体験はいつも新鮮で、物語ならば新しい世界を、学問ならば新しい認識や知識を、むさぼり呑み尽くすようにして読んでいくことは本当に幸せである。

 大学五年目も終わりに近づいて、就職先は何も決まっておらず、六年目の卒論すら未だにマトモなことを考えてもいないのにも関わらず、ひたすらに無目的な読書を続けているというのは、おそらく一般にしてみればバカもいい加減にしろといったところだろう。まったくそうである。じつにそのとおりだと思う。

 ただそれでも「しかし・・・」と言いたくなるのが読書中毒者の性だ。これは色々な人が言っていることではあるけれど、文学なんてのはまさに「毒」なわけで、合法なくせに極めて破壊的な麻薬であることは違いないだろうと思う。

 前置きが長くなったが、今年の100冊の中から以下で紹介する何冊かの本は、そんな「毒」をたっぷりと含んだものばかりである。つまり、読んではいけない本ばかりである。(注:ネタバレ的なことはなるべく書かないようにする)

 

 

夏目漱石『それから』 岩波文庫

あらすじ(本書記載):三年まえ友人平岡への義侠心から自らの想いをたち切った代助は、いま愛するひと三千代をわが胸にとりもどそうと決意する。だが、「自然」にはかなっても人の掟にそむくこの愛に生きることは、二人が社会から追い放たれることを意味した。

 

解説:主人公の代助は、今風に言えば「三十路のニート」であり、しかも金持ちの家のボンボンで、高学歴でもある。要するに高等遊民なわけだ。作中の時代は1909年(明治42年)で、実際にこの小説が朝日新聞に連載されていたのも同時期である。作中では、代助が旧友の平岡に向かって当時の世相についての文明批評をしてみせる場面があり、その意見はリアルタイムで読んでいた読者にとってかなり衝撃的な印象をもたらしただろうと思う。そしてまた、代助の暮らしを取り巻く品々や出来事なども具体的に描写されており、当時の生活風俗も覗けるようになっている。

この物語は、代助・平岡・三千代の「遅すぎた」三角関係によって進行する。それに加えて、当時の日本社会では(今も同じかもしれないが)一人前とは認められない「口だけ男」の代助が、自分の過去に培ってきた思想と、将来への大きな転換を予期させる事件との狭間で悩み抜く姿が描かれている。他にも、代助の父親が持つ「富国強兵」や「儒教道徳」の価値観と、西欧から輸入した近代学問を身に着けてニヒリズムに浸っている知識人・代助の価値観とが対立していたりする。つまり、社会的・歴史的な条件によって様々な対立項が出来上がっていく最中で『それから』の物語は展開するのだ。

果たして、代助は三千代と結ばれるのか?

 

感想:なぜこの小説を最初に挙げたかというと、今年読んだ小説の中でもっとも共感した作品だからだ。しかし恋愛の三角関係にではなく、代助自身の実際の状況、あるいは少々子どもじみているとさえ言える厭世感に対してである。

というのも僕は、同年代に対して社会に出遅れていながら、読書の窓から世界を覗いて頭だけであれこれ考えたり、イライラしたり、うんざりしているという有様で、ほとんど代助と変わらぬのである。そういうわけで『それから』は、今の僕にとって痛いぐらいに切実な内容を含んでいる。(とはいえ、僕は別に代助ほど優秀ではない。代助よりよっぽど半端者である)

そんな事情もあって、代助がどのような思考を経て、どんな決断に至るのかを、本当に「手に汗握る」ような思いで読み進めていった。読み終わった時はファミレスに居たのだが、叫びだしたくなるのを必死に噛み殺さなければいけないぐらい、壮絶な終わり方だった。たぶん10年後、20年後、これを初めて読んだときを思い出しながら読み返していると思う。それほど思い入れのある小説だ。

 

 

横光利一『上海』 講談社文芸文庫

あらすじ(本書記載):1925年、中国・上海で起きた反日民族運動を背景に、そこに住み、浮遊し、彷徨する一人の日本人の苦悩を描く。死を想う日々、ダンスホールの踊子や湯女との接触。中国共産党の女性闘士 芳秋蘭との劇的な邂逅と別れ。

視覚・心理両面から作中人物を追う斬新な文体により、不穏な戦争前夜の国際都市上海の深い息づかいを伝える。昭和初期新感覚派文学を代表する、先駆的都会小説。

 

解説:欧米諸国のあらゆる勢力が出店を構えていた「魔都・上海」で、日本の紡績会社の社員である主人公の参木は、このモザイク状の植民地的な国際都市に様々な闘争と駆け引きが渦巻いているのを目にする。それは近代の国際社会における西洋と東洋との激しい軋轢であり、帝国主義的な資本主義と中国人民のマルクス主義とのぶつかり合いでもある。そしてまた参木はそれだけでなく、港で働く苦力(クーリー)や外国人たちを相手にする売春婦に出会い、他方ではダンスホールという社交場を出入りする貿易会社のアメリカ人やイギリス人やドイツ人にも出会う。このように混沌とした魔都・上海で参木は、「自らの身体は日本の領土であるという国権的な思考と、中国の民衆の貧しさに同情する民権的な感情の狭間」(本書解説)で揺れる。

この小説は新感覚派の代表作と言われるが、新感覚とは何かということを横光利一は次のように述べている。新感覚とは「自然の外相を剥奪し、物自体に踊り込む主観の直感的触発物」を小説として表現することらしい。この説明について、本書の解説者であり文学者の菅野昭正は「むずかしい鹿爪らしい用語をあれこれ繰り出してみせるものの、横光利一の<新感覚>とは、要するに、視覚、聴覚など感覚の知覚するがままにしたがって、外界の現実をとらえることにほかならなかった」と評言している。

このことについて少し自分なりの解釈を書いておくと、横光の言う「自然の外相」というのは自然科学が見せる客観的な認識であり、たとえ街の群衆と言えどもバラバラな個人の肉体の集合に過ぎないのであるが、これが「主観の直感」によれば、群衆は「膨張」したり「流れ」たり「割られ」たりするような、一つの流動体になる。つまり、世界を細切れの静止画あるいは点として写実するのではなく、蠢く動画あるいは線としてそのまま連続的に活写するのである。

 

感想:日本文学なんて夏目漱石森鴎外芥川龍之介太宰治の名前ぐらいしか知らなかった僕は、横光利一という作家を名前さえ知らなかった。だからこの小説『上海』もまったく知らなくて、ただブックオフの本棚でこれの背表紙と目が合ったから買ったという程度であった。本の内容も、よく知らない中国の、しかもマルクス主義運動とくる。あまり慣れない政治小説とも思えた。

しかし実際に読んでみると、まず新感覚派の文体によって描かれる上海のエキゾチックな情景へと一瞬で引き込まれる。そして物語の構成と人間関係の配置から来るスリリングな緊張感で読むのを止められなくなった。次は横光利一の『旅愁』を読みたいと思う。

 

 

埴谷雄高『死霊』 講談社

あらすじ:昭和10年代の東京市と思われる街を舞台とするこの小説に於いて、議論の中心となるのは、「虚體」の思想を持ち「自同律」に懐疑を抱く主人公・三輪與志、結核に罹患し瀕死の床に伏す元党地下活動家の三輪高志、「首ったけ」こと自称革命家の首猛夫、「黙狂」と呼ばれる思索者・矢場徹吾ら4人の異母兄弟である。こうした群像が存在の秘密や宇宙や無限をめぐって異様な観念的議論をたたかわせる。

何十ページにもわたる独白を中心とした饒舌な文体によって進められる非常に緩慢な時間進行の中での対話劇に、永久運動の時計台、《死者の電話箱》・《存在の電話箱》の実験、《窮極の秘密を打ち明ける夢魔》との対話、《愁いの王》の悲劇、「暗黒速」「念速」などの概念、人間そのもの・イエス・キリスト・釈迦・さらに上位的存在への弾劾、ある種象徴的な黒服・青服による「虚体」「虚在」「ない」の三者の観念的峻別についての示唆なども挿入され、一種神秘的・超常的な雰囲気さえただよう。日本文学大賞受賞。

 (引用元Wikipedia「死霊」)

 

解説:むり。

 

感想:あらすじを読んだ人は「なんだこりゃ」と思うかもしれない。この本の帯には「二十世紀の闇に光芒を放つわが国初の形而上小説」と書いてある。これでもよく分からないと思う。要するに小説の格好をした哲学書なんだと思ってくれればいい。全部で九章あるうち、僕は定本に記載されている五章まで読んでみた。ちなみに埴谷雄高を若者たちが読んでいた時代はとうに昔のことである。この本が雑誌「近代文学」に連載され始めたのは1946年、僕の父は予備校で大学浪人していた1970年代に読んだという。この時代からも分かるとおり、マルクス主義と学生運動の盛んな時期に書かれた本であり、埴谷雄高自身も元共産党員であるから、作品の中にもそのことが描かれている。とはいえ、20世紀の末で平成生まれの僕はそんな事情も風潮も知らない。でも「そういう時代だったんだ」ぐらいに知っておけば、たいして詳しく知らなくてもあまり差し障りはないと思う。

それでもこの本を理解できたのかと言えば、おそらく10%ぐらいしか分かっていないと思う。僕が分かったのは、というか共感したのは、「自同律」に対する懐疑だった。このことについて文学者・本多秋五は次のように言う。「埴谷が「自同律の不快」というものは、じつは「俺は」といって、つぎに「俺である」と断定するのにたじろぐ、そこに大きな抵抗を感じるということ」だった。

読者のなかには全く共感できない人も多いかもしれない。しかし僕は少しばかり共感するところがある。今においてもあらゆる種類の「僕」がいて、しかも過去と今を比べると「僕」は時期ごとに全然違っている。それに仮に過去から現在までの全ての「僕」を紙に書き連ねたとして、「この全てが僕だ」と言っても、次の瞬間には「僕」で埋め尽くされたその紙面を突発的な怒りと共に破り捨ててしまう「僕」が白紙の向こうから現れる。この「白紙」が怒りを生むとしたら、この「白紙」はどこから来るのだろうか、一体何なのだろうか、分からない。だから埴谷が『死霊』の中で「不快が、俺の原理だ」と主人公・三輪に言わせるとき、「怒りだろう、それは」と僕は言いたくなる。ちなみに批評家・秋山駿は『舗石の思想』の中で同じことを「苦痛」と言っていた。まぁそのへんはどう感じるかの違いに過ぎないかもしれない。ともかく、六章から九章までの続編を僕は早く読もうと思う。

 

 

セリーヌ『夜の果てへの旅』 中公文庫

あらすじ(本書記載):全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた<呪われた作家>セリーヌの自伝的小説。上巻は、第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重傷を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく様を描く。下巻では、遍歴を重ねた主人公バルダミュは、パリの場末に住み着き医者となるが―。人生嫌悪の果てしない旅を続ける主人公の痛ましい人間性を、陰惨なまでのレアリスムと破格な文体で描いて「かつて人間の口から放たれた最も激烈な、最も忍び難い叫び」と評される現代文学の傑作巨編。

 

解説:人生へのとてつもない嫌悪と、全人類へのはげしい罵倒と、世界をこっぱ微塵にするような言葉が詰め込まれた、破天荒すぎる長篇小説『夜の果てへの旅』は、アンドレ・ジッドが言うように「セリーヌが描き出すのは現実ではない、現実が生み出す幻覚」であり、過敏症的な感覚によって描かれているようにも読める。

しかしその他方で見逃してはいけないのが、セリーヌの冷徹な分析眼である。第一次世界大戦におけるフランスでは戦時体制下のナショナリズムを呪い、小コンゴでは帝国植民地の最底辺で貧困の惨めさを叫び、アメリカでは大量生産大量消費の資本主義を見て人間疎外を呟く。つまり、セリーヌはこの本で自らの人生を感情のままに謳いながら、その饒舌な言葉は時代や文明をも鋭く批評している。

 

感想:この本を読むにあたって、奇妙な読み方かとは思うが、政治哲学者ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』を下敷きに読んでみるといいかもしれない。というのも、アーレントが言うところの「モッブ」こそがセリーヌであり、セリーヌの描く社会の背景をアーレントは分析しているからだ。すなわち戦争と大衆の世紀をアーレントが写実的にスケッチしたとしたら、セリーヌはそれを悲惨な色合いで情念たっぷりに彩ったと言えるだろう。

僕はこれを読んだとき、言葉がこれほどまでに破壊力を持つものなのかと震えた。この本の書き出しからしてもう鳥肌モノである。

「旅に出るのは、たしかに有益だ、旅は想像力を働かせる。これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。僕の旅は完全に想像のものだ。それが強みだ。これは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街も、自然も一切が想像のものだ。小説、つまりまったくの作り話だ。辞書もそう定義している。まちがいない。それに第一、これはだれにだってできることだ。目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」

想像の旅、それが分かるだろうか。僕には分かる。目を閉じることで、目を開いている時よりも明瞭に世界を見ることができることもある。大江健三郎が言うように、想像とは認識に限りなく近い。セリーヌの想像する現実の世界は情念の色で真っ黒に熱く輝いている。

 

・そのほか印象に残った本

J・D・サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)

旅をしていたとき、トルコで出会った日本人の旅人が「一番好きな本」として教えてくれた小説。ずっと読もう読もうと思っていたけど、やっと最近になって読めた。「君」に語り聞かせる形式で描かれる、あてのないまま都市を彷徨う旅をする少年のうらぶれた姿や感情には、なんとも言えないほど親近感を覚えた。

 

島崎藤村『破戒』

日本の自然主義文学として代表的な作品。信濃千曲川周辺を舞台にして、新平民であり穢多の出身である若い教師が、自分のアイデンティティと世間一般の差別心との間で悩む。「戒め」を「破る」ことを希求せざるえなかった青年の肖像が描かれており、また藤村の有名な詩「初恋」を思い出すような描写もあり、読み手の感情を大きく揺さぶってくる。

 

筒井康隆モナドの領域』

筒井康隆の最後の作品と呼ばれ、最近とても話題になった小説。実は僕は筒井康隆を読むのはこれが初めてだった。考え方は違っていてもヴォルテールの『カンディード』を思わせるような哲学的な内容になっていて、ライプニッツ的世界観を基にして現代の日本社会にGODが降臨する。筒井ファンにとっては総決算の一作に読めたかもしれない。作中の後半でGODがメタ発言をぶちかます場面では、文章の向こうからGODがこちらを本当に見ている気がした。

 

E・Y・ブルーエル『ハンナ・アーレント伝』

約650ページにもわたってアーレントの一生を綴ったこの伝記は、読者にまったく飽きさせない。間違いなく20世紀の世界のド真ん中を駆け抜けたアーレントの足跡を辿る文章は、タイプライターを前に、あるいは友人や学生たちを前にして、あらゆることを雄弁に語る彼女の姿を本当にハッキリと浮かび上がらせる。今年読んだなかでもっとも勇気をもらった本。

 

J・オースティン『高慢と偏見

夏目漱石が「則天去私」の思想を見たイギリス近代文学の代表作。片田舎の家族の娘たちが社交界の男性たちとの恋愛や結婚をめぐってドタバタ騒ぎを繰り広げ一喜一憂する話。主人公エリザベス・ベネットの知性と観察眼の鋭さは読者を驚かせて惹きつける。映画化もされており、世界的に高い評価を受けている一作。

 

 

・まとめ

今回は小説中心で書いた。というのも、今年は「物語」というものに深く耽溺した一年だったような気がするからだ。この一年、現実の思い出はあまりないが、読んだものや観たものについての思い出は数多い。たぶんそれって現実逃避だとか非リア充だとか言われるんだろうけど、僕は僕なりにけっこう楽しかったし充実していたと思う。小説、漫画、アニメの中で無限に広がる物語にひたすらのめり込んでみる、人生の中にそんな時期があったっていいじゃないかと、やっぱり思う。

自分の生きている世界ってのは、日本の東京にある家と学校の往復だけじゃない。読書によって、現在も現実も飛び越して幾重にもなる物語の世界を旅することができる。

想像の翼は、それを可能にする。

そんな当たり前のことに気付いた一年だった。

楽しかった。そして、来年も楽しみだ。 

ファミレスから追い出されたオッサンの話

 とりあえずのところ、僕たちの日常はそこそこ平和で、しかもわりと豊かで快適だと思う。この普通の日常は失われてはならないし、誰かに脅かされることはとても困ることである。これに賛同して頂ける読者の方々はこのまま読み進めてほしい。以下に述べる話の始まりは、これもまた僕の日常的な生活の一部であり、他の誰かにとってもありえる日常の風景だと思う。

・ファミレスでの事件

 この日も大学の授業を終えて家の近くにあるファミレスへ行き、いつも通り喫煙席に座ってリュックサックの中から文庫本を一冊取り出す。この日は確かヴォルテールの著作『カンディード』だった気がする。いつも通りにアイスコーヒーを注文して、煙草を一本取り出しながら、ヴォルテールの生涯と著作について書かれた巻末の解説を読む。iphoneのランダムな選曲がイヤホンを通して鼓膜に流れてくる。視覚と聴覚が外界から遮断され、しかも客である僕はファミレスの片隅で誰からも干渉を受けずに平穏な孤独に居座ることができる。そこでふと頭をよぎるのは、本の内容とは何の関係もない、明日の授業課題のこと、あるいは地方配属になった友達のこと、もしくはバイトの給料と今の財布の中身のこと、そして将来の進路のことなど、つまり人生において日常的で些細な、かといって決して小さくはない大事なことに考えを巡らしている、ちょうどその時だった。

 最初は「気配」だった。不穏な空気、とでも言うべきなのだろうか。文字で埋まった紙面からハッと視線を挙げると、そこには市民の安全と安心を守ることが職務である青色の制服姿の男が二人と、その少し後方で困惑しながらも険しい表情の女性店員、そして両者の厳しい視線は一人の中年の男に注がれていた。

 僕はその男を知っている。とは言っても、詳しく知ってるわけじゃない。ただその男が昼に夜に、ほとんど毎日のように、僕と同じようにこのファミレスに長時間入り浸っていて、ホットコーヒーしか飲まず、しかし煙草だけはやたらと吸い、大抵は新聞を読んでいて、明らかに挙動不審な態度や店員との言葉のやり取りから見て、おそらくは軽度の知的障害があり、また歩き方がパッと見てもおかしく、手が常時震えていることからも身体的にもなんらかの障害がある。そして接客する店員に対してはたまに嫌がらせのような態度を取ること、彼についてのそれらを僕は知っている。加えて彼の来店する時間帯(午前中から午後、深夜など)と長時間の居座りから、彼は普通に賃金を稼ぐ労働者ではなく、何らかの社会保障(例えば生活保護)を受けて生活しているのではないかと僕は考えた。

 実はファミレスには、彼ほどではないにしても、一般に言う「社会人」ではない人たちが居座っていることがよくある。例えば、定年退職後と見えるオッサンは毎晩のように訪れてビールを飲んでから朝まで爆睡しているし、ヨボヨボのおじいさんはスナックのママ(二十代の僕から見れば「おばあちゃん」だ)を連れてお喋りに興じているが、向き合うのではなく隣り合って座るそれはまるで恋人同士のようである。

 あるいは、40代後半ぐらいのオッサンも毎日のようにお替り無料のコーヒーを飲み、そして煙草を吸いながら目を閉じてずっとニヤニヤしている。よく見ると、その服装は下がだらしないスウェットなのに対して上だけは普通のシャツである。そしてたまに「タウンワーク」を読んでいるが、彼もまた仕事をしているようには見えない。

 話を戻そう。どうやら最初の彼は店員に対して問題のある行為をしたらしく、それで警察を呼ばれたようだった。いわゆる「営業妨害」だ。ほどなくして、彼は警察の手によって店からつまみ出された。あとで店員に聞いてみたら、彼はこの店を「出入り禁止」にされたそうだ。ともかく、それから店内は数分もすると「いつも通りの平穏」を取り戻し、僕は再び視線を読みかけの本に戻した。

 

 こうして僕らの平和で豊かで快適な日常は警察によって守られたのだ。

 

 実際に起きた話はここまでだが、もちろん僕の話はこれで終わらない。この記事がここで終わるならば、そもそもこの記事を書こうとすら僕は思わなかっただろう。しかし読者の皆様はここまでを読んでどう思っただろうか。もし「これでいいじゃないか」と思うならばタブを閉じてもらって構わない。「社会にとって不快で迷惑な存在は警察によって排除されるべきである」という素晴らしく良心的な道徳観をお持ちのあなたは以下の文章を読んでもピンとこないだろうし、ここまでを「無駄な時間だった」と思っていただくしかない。ただし、この厭味ったらしい文章に付き合ってくれる物好きと暇人はここからも読み進めてほしい。

 

・「社会人」ではない人たち

 話を続けよう。この一連の話における問題はさしあたって次のことである。

 「そもそも彼(彼ら)はなぜ、ファミレスに居座っているのか?」

 まず彼(あるいは前述の彼ら)は、今最も深刻であるいくつかの社会問題の現実的な存在だと言える。つまり、それは高齢化社会生活保護だ。すでに書いたように、ファミレスに居座る常連は、暇な学生の僕よりも暇そうに見える。そのタイプを「時間」に即して分けると二つだ。サラリーマン人生を駆け抜けた後の空虚な「残り時間」か、働かなくても生活保護の受給で煙草が吸える程度には生活ができてしまう「怠惰な時間」かである。この二つの「時間」は、国民が支払う税で賄われる社会保障によって支えられている。

 この両者は最近よく非難される対象として話題になる。「蓄財している老人三人分の生活費を、蓄えもない一人の若者が支えている」、「生活保護受給者は愚かで怠惰だ」などなど。ともかく有象無象の人々は悪者(に見える何か)を見つけてきては盛大に叩いて叩いて叩く。例えば生活保護の、その認識の裏には、純粋無垢な社会的弱者が想定されているからだろう。すなわち「お前は弱者のくせに生意気でふざけている」と言いたいのだ。今回の彼についてだって、知的障害、あるいは身体障害、もしくは失業や貧困と言ったワードだけを並べれば、良心的な道徳観をお持ちの方はすぐに寛容で同情心に満ちた言葉を述べるだろう。ただし「自分に迷惑をかけない限り」でのことだ。この認識・態度は、何か問題があれば即座に「フリーライダー叩き」、もしくは「老害叩き」へと転化することが予想できる。

 このことについて、社会学者・開沼博は次のように言う。

「「純粋な弱者」を想定しながらの「相対的強者」による代理論争は、「良き社会」を構想する上では確かに重要な議論である。しかし、一方では、「純粋な弱者」を求め、あらゆる弱者を「純粋な弱者」の中に押し込んで「支配する眼差し」と表裏一体の関係にあることに、自覚的であり続ける必要がある」

生活保護を含めた社会福祉のあり方は、今後も様々な形で社会問題化するだろう。「生活保護制度を引き締めればいい」と威勢のいいことを言っても、あるいは「弱者を守るために弱者批判をするな」と「正論」を振りかざしたとしても、それはむしろ、バーチャルな「純粋な弱者」の枠に入りきらない「グレーな弱者」を不可視な存在へ追いやり、社会の中で潜在化させていく。そして、公的な弱者包摂の制度から零れ落ちた人々は、代替可能な機能を有する自生的かつ非公式的な「弱者包摂の制度」へと吸収され、貧困のループの中で生き続けるようになる」

開沼博『漂白される社会』、第四章「ヤミ金が救済する「グレー」な生活保護受給者」p142-p144

 

・都市空間の形成

 次に、彼(彼ら)の「時間」から、今度は「空間」へと視点を変えてみたい。これがこの記事の中心的な話題、そして「なぜファミレスに居座るのか?」という問題に対する直接的な議論になる。

 まず、彼らはファミレスに居た。そしてファミレスは都市のロードサイドに位置する。だからまず「都市」の社会について考えなくてはならない。とはいえ、ここで言う「都市」とは、新宿や渋谷のようなメトロポリスではなく、そこから農村を飲み込んで同心円状に派生した亜‐都市である。一般的には「郊外」とか「住宅街」とか、要するに無個性な普通の町のことである。ここでは便宜的に「郊外」とする。

 実は、郊外こそが、この日本社会を生きる人々にとって「日常的」であると僕は思っている。というのも、現代においては、独立した都市は想定できず、戦後の開発主義的な都市計画・国土改造によって、町と町は道路で結びつけられ、農村と都市は二項対立的な構図を失っていく、確かに中心的な商業都市はあっても、そこから溢れ出た人口を補完するためにさらに郊外が広がり、そして郊外と郊外が曖昧に接続され、「完全な農村ではなく、かと言って大都市でもない」ような風景、半-汎都市的な空間である「郊外」が現出し、そこに人口が流入したのがこの現代社会である。だから「郊外」と日常は多くの人にとって不可分なのだと思う。

 こうした都市郊外社会において、人々は何によって居場所を形成するのだろうか。昔の農村・漁村ならば生産手段と家族や親類が直接的に結合した共同体であっただろうし、純粋な商業都市ならば商人同士、もしくは手工業者の連帯がありえたのかもしれない。ただ特に戦後社会はよく知られているように、そうした共同体が解体され、いわゆる「核家族家庭」にまで縮小化し、仕事は都心部で、それ以外の暮らしは郊外という、ドーナツ化現象が起きた。つまり職住分離の社会である。

 

社会的排除

 それでも戦後しばらくの間は、職=仕事では会社共同体、住=家庭では核家族が、経済社会の安定を担保にして維持されていたようである。が、しかし、それはバブル期までの話で、ロスジェネと呼ばれる世代を契機に就職氷河期を経て、失業者やフリーターニートなど、「アンダークラス」と呼ばれる階層が大量に出てきた。これが何を意味するのかというと、「結婚相手としてふさわしくない」と価値づけられる男達(あるいは女性もそうかもしれない)が、社会の見えない場所(しかし本当は見えている場所)で孤独になっていく。

 その理由について、経済学をマトモに学んだことのない僕が論じるのは気が引けるが、おおまかな話で言えば、知的労働以外の労働、つまり単純作業や肉体労働を、安価な人材(出稼ぎ外国人や低賃金労働者)にアウトソースし、もしくは作業工程をオートメーション化することによって、コストを減らして利益を最大化し、企業の人口自体がスリム化を図ったからだとされているらしい。要するに経済構造的に生まれてしまった「孤独」と「貧困」があるのだ。

 こうした労働市場からの構造的な排除と、件の彼(彼ら)は全く無関係というわけにはいかない。例えば、無職である理由が、就職の失敗にせよ、失業にせよ、ともかく知的労働が能力主義であるからには、正規職の再雇用への間口はとても狭く激戦である。加えて日本は新卒採用制度を未だになんとか保っていて、他方で中途採用にはそれなりのキャリアが必要である。こう考えてみると、いったんドロップアウトあるいはロックアウトされた人々は、多少は雇用景気が良くなっている現在でさえ、リスタートの糸口がなかなか見つからないのかもしれない。そうして求人誌に載っているのは、大抵が前述したような「アウトソースされた労働」である。

 

・排除のメカニズム

 さて、彼(彼ら)の立ち位置が社会の大きな構図のなかで徐々に見えてきた気がする。となると、次は、彼(彼ら)が「郊外のファミレス」という場所に居座り、そして排除されたことについて考えるべきだろう。この事件が起きた後、僕はすぐに二冊の本を手に取った。それは前出の開沼博『漂白される社会』と、ジョック・ヤング『排除型社会-後期近代における犯罪・雇用・差異』である。この二冊には、僕が見た出来事と類似する事件を分析する記述があった。

 

「「周縁的な存在」は、多くの人にとって不快な「あってはならぬもの」となり、まずは彼らの日常の中で視野の外に置かれ、一方では衰え、他方では不可視化された代替的なシステムで補完される。そして、前者は隔離・固定化され、社会に包摂されないまま放置される。しかし空間的に外に置くことができないものもある。例えばその特徴は、ホームレスの排除が進む大都市に生まれ出た「ホームレスギャル」に顕著に現れる。彼女たちは、「マクドナルドへの排除」という一見わかりにくい排除をされると同時に、消費社会で生まれたシステムへの包摂もされている

開沼博『漂白される社会』「一二の旅で見えてきたもの」p390

 

「(経済社会的に)排除された者たちは、他者を攻撃したり追放したりするなど、排他的かつ排除的なやり方で自己のアイデンティティを作り上げる。その結果、今度は自分たちが他者から、すなわち、学校の管理者、ショッピングモールのガードマン、「善良な」市民、巡回中の警察官などから排除され、追放されることになる。そこにあるのは、逸脱者がますます逸脱の度合いを高め、周縁化されていく排除の弁証法とも呼ぶべき過程である。

ジョック・ヤング『排除型社会』「包摂型社会から排除型社会へ」p45

 

 僕が見た彼の事件と照らし合わせながら、この二つの文章を読んでいくと、それは次のようになる。

 彼は何らかの理由で労働市場に参入できず、家庭をはじめとしたあらゆる共同体からも排除されている、それと同時に消費社会の産物であるファミレスに包摂された(彼は一杯のコーヒーと引き換えに居場所を手に入れた)。

 が、しかしファミレスというのは「ファミリー・レストラン」である。店内はファミリーとフレンドとカップルで一杯になり、そうした人々は大いに消費する。彼は自分の持たざる二つの豊かさを目にする。人間関係と金だ。無意識下であれ、彼のストレスは高まる。

 でも24時間いつでも雨風をしのげて煙草が吸えてコーヒーを自由にお替りできる「快適な」場所はファミレス以外にはほとんどない。彼は豊かな日常の中で苛立ち、それを文句の言いやすい女性店員にぶつける。その結果、彼は警察によってファミレスからも排除された(排除の弁証法)。

 

 経済構造によって「貧困」が生み出され、それによって家庭を持つ契機である結婚からも遠ざかり「孤独」が生まれる、そうした二重の疎外状態において、さらに消費空間からも排除される人がいる。

そのことに僕らは気付かない、見えているが、見ない

異質な他者を排除することによって、この素晴らしい日常は成り立っている。

だから、この日常は、平和で豊かで快適だ。日本は最高に美しい国である。

 

 

隣の席でマルチ商法の勧誘が行われているファミレス店内にて。

 

 

 

 

介入という名の暴力

 暴力。それは一般的には物理的な「殴る」「蹴る」などになる。他には、いじめなどで用いられる「言葉の暴力」や(集団的という意味での)「数の暴力」、あるいは社会的な支配関係の構造を身体化させる「象徴的暴力」(P・ブルデュー)などがある。

 ともかく暴力と名が付く行為は、時代や社会ごとにその様態は多種多様であり、しかし暴力性そのものにおいては人間の普遍的な性質と言えるだろう。言い換えると、自分を社会的な人間だと自認するあなたは必然的に暴力性を有していることになる。「何を失礼な。私はそんな野蛮な性質とは無縁だ」と今もし思ったならば、非常に申し訳ないがそれは傲慢であろう。その理由を語り始めるととても長くなるので端的にだけ言っておくが、要するに僕らは生きるために「場所」を占め、「モノ」を奪い取り、間接的にでも「人」を使って、そうやって日々を過ごしている。そうした生活の原理に暴力性が介在しないと言い切れるのならば、まぁ得意げに善人面をしていればよいと思うが。

 生活、そう、話は生活である。生活一般において、僕らは他人との関わりなしに全てを完遂することができない。当たり前の話だが、他人と共に生きていくことは不可避なのだ。親をはじめとした家族や親類、学校の先生や同級生、仕事の同僚や上司や顧客、知り合いや友達、恋人や夫/妻、そして子ども。ありとあらゆる人間関係の中に放り込まれて、僕らはその中を、摩擦と軋轢と疑惑と恐怖と倦怠と不安と苦痛の蔓延る中を、なんとか生きていかねばならない。

 ところで、人間関係を上記のような否定的な言葉で表すことに疑問を覚える人も多々いるだろう。僕だってもちろん人間関係の全てが最悪なものだと思っているわけではないし、これはマイナスの方向へあえて誇張してみただけだ。ただしそれは誇張に限らない。というのも、これらのネガティブな状態は全ての人間関係に潜在しているからだ。いついかなる問題が起こるとも限らない。あるいは自分が良好な人間関係だと思っていても、相手方はまったく真逆の心理を抱いているかもしれない。むしろこうした「勘繰り」がこの現在の社会心理、つまり疑心暗鬼になって他者を怖がる心理が一般的ではないだろうか。

 それだからこそ人々は言う。「良い悪いも人それぞれ」、「他人の重い話には触れてはいけない」、「本人の意思が大事だから他人はあまり意見してはいけない」と。要するに、批判を受けることのない「穏当な他者」でありたいという気持ちから、まったくその通りの正論が導き出されて、そうして傍観者の立場も同時に正当化される。

 この時代においては、人間は案外簡単に孤立する。孤立というのは、状況の事実を指すのではなく心理的な意味でのことだ。自明の正しさや、絶対的な共同体や、超越的な権力が破綻してから随分と久しいこの現在、僕らに唯一残されたのはバラバラに砕け散った世界だけだ。僕は何も大袈裟に言っているわけじゃない。自分自身に聞いてみてほしい、五年、十年、二十年、あるいは三十年、ずっと安定的に恒常的に続いた人間関係がいくつあるだろうか。いつの間にかプッツリと切れてその糸先だけが宙に漂っている人間関係の方が多くないだろうか。結局のところ、僕らはその場しのぎの人間関係を紡いでは放り出して、次の糸先に飛びつくしかない。実際そうやってコロコロと変わっていく状況を切り抜けているはずだ。

 さて、そんな社会ならば尚更のこと、他人の人生に深入りするのは、流行りの言葉で言うなら「コスパが悪い」だろう。そして前述した「正論」からも逸脱するだろう。僕らは他人に干渉することを忌避し、そして忌避される。どれだけ重大で深刻な話題であろうと、うまく誤魔化して曖昧にして皮相な笑い話にすり替えてみせる話術を僕はなんども見聞きしてきた。そうして全ての「シリアスな問題」は「コスパ」と「正論」の下に抑圧されていく。

 他人の人生へ介入すること。確かにこれはひとつの暴力である。もう少し具体的に言うならば、相手の人生にとって重要な意味を持つ人物や経験や価値観について、他者である自分が何かを言い、ましてや価値判断を下し、さらには行動を起こすなど、とんでもなく酷い暴力に他ならないだろう。まぎれもなく倫理的な罪悪である。しかし、では、全ての他者から距離を取って、いつ糸が途切れても構わないような人間関係だけを「コスパ」と「正論」によって構築して、ファストな居心地よさに身を任せていればいいのだろうか。少なくとも僕からすれば、それが辿り着く先は虚無でしかない。

 両極端な話だからあまり参考にならないかもしれない。が、しかし僕はこうも思う。自分の存在が、もしくは言動が、他人の心にどんな影響を及ぼすのかは、結局どちらにせよ分からないのだ。もちろんだからといって何を言ってもよいというのではない。ただ、他人の人生への介入が暴力性を持っているとして、あえて横柄な言い方をするならば「だからどうした?」である。その倫理的な後ろ暗さをも織り込み済みで、全ての結果と責任を引き受けるだけの自覚を両者が有する人間関係であるならば(そんな人間関係自体がこの時代には希薄かもしれないが)、他者の人生への介入は暴力でありながらも孤立からの救済への祈りになりえると僕は信じている。

 かつて、アルベール・カミュは「神なき聖人はありうるか」と言った。僕はこのカミュ的な意味で「祈り」の語を使う。祈るべき神などいない、ただ自分の介入が他者にとって善いものであるようにと他者に祈るだけである。たしかに神の暴力-介入は全能であるがゆえに全肯定されるであろう。神の怒りだの試練だの、そんな言葉ではぐらかされる災難は昔から多々あるのだから。しかし僕は全能ではなく不完全だ。もちろんそれをカミュは分かっていた。神なき聖人はありえないのだ。だからこそ不条理に生きねばならない。聖人の「ごとく」振る舞い、その無力と欠陥を曝しても、それでもなお介入という名の暴力をもって他者と向き合うしかない。祈りは届かないかもしれない、もしくはただの暴力かもしれない、でもだからと言って僕は目の前の他者に背を向けたくはない。

 

 

自意識の社会

 

・「自分探し」から「着せ替える自分」へ

 旅をしていると「自分探しですか?」と一度は聞かれる。しかし大抵の場合、それを聞いてくるのは年配の人で、若い人にとっては「自分探し」という言葉自体が死語に等しい。そもそも「自分」を探す対象として見ていないのではないだろうか。今日において、探す対象は「自分」ではなく「衣装」になっている気がする。

 衣装とは言っても単なる比喩であって、要は自分を構成する種々の要素を指す言葉である。ただし、「自分探し」のような内面の精神的な自己ではなく、他人が見ている、あるいは他人に見てもらいたいような外面の表現的な自己である。例えば、自分が何者であるかを考えてみてほしい。近代以前の日本人ならば、出身地(いわゆる「お国」や「村落」)、もしくは一族の系譜などの歴史性を感じさせる要素をアイデンティティとして重視するかもしれない。他方で、現代の日本人は、自分の現在の所属組織をはじめとして、様々な社会における自分の役割、そして私的な生活の特徴的な要素を挙げるだろう。何が言いたいかというと、今日の「自分」はそうした「情報の束」によって構成されているはずだと思っているのである。

 自分を構成する情報の単位は、無数のクラスター内に位置づけられる。例えば、人口を膾炙している言葉で言えば、「意識高い系」をはじめとして、恋愛における自分を「肉食系」だとか「草食系」だとか言い/言われるように、あるいは趣味における自分を「サブカル系」だとか「アウトドア系」だとか言うように。もっと一般的な例を挙げるならば、自己紹介の際に自分の名前よりも学歴や勤務先を先に述べる人は多いだろう。例に挙げた情報の単位ひとつひとつは無限に細分化できるし、「オタク」と呼ばれる人たちほど、より細微な違いにこだわる傾向にある。が、しかしそれは別にオタクだけではなくて、程度の違いはあれど、他人とのクラスターの違いを強調しようとする傾向は一般的に見ても存在するように思う。そしてそれは情報でしかないために、ほとんどの場合は交換可能なステータスなのだ。使い古された言説かもしれないが、着せ替え人形のように自分を扱い、他人とは違う新しい「衣装」を求めているように見える。

 ところで、教育や消費などを中心として様々な場面で「個性」を重視するのは、もはや当たり前になりつつある。ただしかし、それは本当に「個性」なのかと疑問になってくるような状態が現れた。つまり巷で騒がれる「個性」は、先ほど述べたクラスター的な違いに過ぎないのではないか、「~~系」という単なる類型的な差異でしかないのではないか、そんな疑念を誰しもが感じるはずである。なぜ単なる類型的な差異だと感じるのかといえば、それは発言や行動や振る舞いを繰り返し反復し自分を表現することにおいて、複数の人たちがとても似通っているからである。個性を求めた結果として、没個性に退行しているのではないかということだ。そしてそんな集団的な疑心暗鬼を上手く形象化したのが「地獄のミサワ」であった。ミサワの画像は一時期、大量にSNSに流通し、リクルートのテレビCMにまで採用された。ありていに言えば「流行った」のだろう。なぜなのかと言えば、「いるいる、こんな人」という類型を非常にうまく戯画化し皮肉ったからだ。つまり冷笑的な共感を誘ったのである。

 ここまで来て、やっとタイトルにあるキーワードが出てくるのだが、今日の「自分」に対する一般的な理解を考える上で、個性やクラスターというような枠組みに加えて、「自意識」を挙げたいと思う。なぜなら、特定の個性やクラスターから導き出されがちな言動を、他人が目に付くような自意識の発露を、地獄のミサワは描いたのだから。

 

(補足)

 そもそも「個性」ってなんだろう、という疑問が浮かぶかもしれない。先天的な才能や美的な感性と同一視されがちだが、それは部分的なものでしかないと思う。ひとつの回答として、ゲオルグジンメルの概念に「個性化」と「社会圏」がある。これをざっくり説明すると、人の個性は所属してきた社会の圏域に影響を受けながら変化する。例えば学校や部活、あるいは会社や交友関係など、過去から現在に至るまでの複数的な社会圏を同心円状かつ差異的な形として見ると、自分を中心に多種多様な文化的違いを持った輪が周囲に広がっているはずである。これが無変化で同質的になれば、それだけ単一の個性、いわゆる「無個性」な特徴の見えにくい人間になるわけである。だから逆に、幅が広くて全く異質な社会圏を数多く通過してきた人間の個性化は、とても多彩で豊かなものになるというわけだ。これは経験に照らし合わせてみても、わりと納得のいく分かりやすい話である。

 

 

・「見ている=見られている」の自意識ゲーム

 ここで話題にするのは、他人との関係における自意識であり、その発露である。もう少し砕いた言い方をすれば、「自分が他人にどう見られたいか」を意識している自分のことだ。地獄のミサワが対象としたのは、そうした自意識の中でも「頭いいだろ俺」「カッコいいだろ俺」と思ってもらいたいという類いのものである。地獄のミサワに限らず、インターネット上に流通する他のイラストや言説によっては、「オシャレを知ってる私」「かわいいものが好きな私」の類いを戯画化したものが数多くある。話が少し脱線するが、「オシャレ」という事に関して、ラッパーの環royがある曲のなかで「オシャレ雑誌を読んでる時点でお洒落じゃないことばれてるぜ」と言っているが、もしお洒落=個性だと考えるなら、それをオシャレ雑誌の中に探してしまい、「自分」を流行に委託してしまっているのだから、それは個性的ではないということになるよ、というように読める。

 話を「自意識」に戻すと、そもそもなぜ自意識という観念が、それとは言わずとも様々な形で世間一般に話題となっているのだろうか。それは、市場価値を生み出す経済の差異化システム、あるいはM.ウエルベックが『闘争領域の拡大』や『素粒子』で主題とした恋愛市場における性愛の寡占と貧窮の状態と同様に、アイデンティティをめぐる自意識ゲームが行われているからではないだろうかと思う。自意識ゲームにおいて重要なことは、他人からの承認である。承認欲求という言葉も、今日とても関心を惹く言葉のようだから、やはり時流に深く関係しているのだろう。自意識ゲームでは、周囲の他人と自分がいかに違う/優れているのかが問題となり、それを他人から承認してもらうことが必要となる。

 自意識ゲームがどこで行われるのかというと、それは主にインターネット上だろう。個人発信型のウェブサイトや様々な用途のSNSがそれを可能にしている。しかも「いいね」や「ファボ」のように「見られていること」が数値として可視化されるのだから分かりやすい。もちろん他方で地獄のミサワが描いたような実際の場面も自意識ゲームの一端である。ともかく、インターネット上の不特定多数あるいは交友関係一般という、特定の対人関係とは違った、いわゆる「世間」や「大衆」を相手取ったときの自分の在り方に、自意識は強く発露するようである。それはなぜかと言えば、不透明な対象、自分に内在する「批評的な他人の目」という、実際にはとても曖昧な他者を意識するからであって、それに対し役割なき自分(=いわゆる「自分らしさ」)を規定しなければならず、そこでより美的(だと自分では思う)自分を主張することになる。それが皮肉にも誰かの模倣となってしまうのは、洋服に限らずライフスタイル全般において流行の影響力が大きいからだろう。だから消費経済と自意識ゲームは相互補完的に動いていると言える。

 ところで、この自意識ゲームには観客がいる。いや、プレイヤーでありながら観客でもあると言った方が正しい。「批評的な他人の目」と前述したが、それは自分に内在すると同時に、実際に外側にも存在する。というか、ネット上の「炎上現象」をはじめとして、観客の存在が「見えて」しまっている。今日においては、不特定多数の他者(=世間様)が自分を見ていると強く感じてしまうような環境が整っていて、なおかつ自分もその環境を利用して他者を見ているのだから、雪だるま式に「見ている=見られている」という自意識は際限なく肥大化する。こうして「自意識過剰」な状態が慢性化していく。

(「自意識過剰」で検索してみたら『モテたいならやめるべき!「自意識過剰行動」ワースト5』というウェブページが上から二番目に出てきたが、「モテるかどうか」という「見られる自分」を強く意識するから自意識過剰な行動に出てしまうのではないかと不思議に思った)

 「見ている=見られている」ということを強く感じる自意識は、自分でもコントロールできないぐらいに肥大化することが珍しくない。もはや自意識は個人の私的空間に深く侵入していると言っても過言じゃないのかもしれない。例えば、家や部屋の中までインテリア商品を紹介するモデルルームとほとんど変わらぬような様子になっている人がいたりするのは、私的な実生活まで無自覚に自意識ゲームの領域と化しているからだ。

 「私的」と書いたが、私的=内密な心やその象徴的な操作、ある種の自閉的な想像の自己像までもが、この自意識ゲームに巻き込まれた社会ではどんどんと擦り減らされていくのではないだろうか。つまり、「見ている=見られている」の自意識が個人の心の内で全面化しようとしているのではないだろうかと邪推しているのである。べつに自意識それ自体が悪だとは思わないし、それは削り落とすべきものでもない。あって然るべき心理だと思う。それに芸術や文芸などの活動は、自意識を通して何かに表象し、それを他人が感動するところまで昇華してみせる行為だと僕は思っている。しかし、それは「演者」としての「見せる」自意識であって、全人格的にそうであるわけではないだろう。

 自意識ゲームが、生活一般に浸透しきっているのは言うまでもない。承認を求める欲望を煽って商品やサービスを売るような手法は、もはや当たり前になっているのだから。商品それ自体も、機能や効果より、ブランド(記号性)や物語性を重視して製作されている。広告だって消費者の自意識に訴えかける文言で溢れている。「あなたは見られている、だからあなたはもっと美しく健やかに優れた何者かにならなければならない」と暗に言うようなメッセージが至る所で生活者に降りかかる。もっと露骨な単語だと「セルフ・ブランディング」という言葉が少し前に流行った。自ら進んで自分を商品的に記号化しようとするのだ。こうなってくると、かつてサルトルが「地獄とは他者のことである」と言ったことも一般的な切実さを帯びてくる。すなわち、私における様々な意味や価値判断が他者に委ねられて、主体性の剥奪、自己疎外の様相を見せるのである。

 

 

・最後に

 僕はこの問題について何か上手い解決策も処方箋も持っていない。自分の自意識は自分で管理するしかない。強いて言うなら自らの欲望に対して自覚的にあろうとするぐらいだろう。繰り返すようだが、自意識それ自体は悪いものでもなんでもなく、上手くすれば内実のある成長にだって結びつくものであって、削り落とそうとするべきものではないと思う。ただこの社会はそれを無自覚に肥大化させやすい風潮になっているということを言いたかっただけである。

 

「夏目漱石における恋愛の倫理」

 『三四郎』から『それから』『こころ』へ

 

・はじめに(問いそのものについて)

 『三四郎』を読んでいる最中にとても気になった部分がある。それは小説のなかで美禰子が三四郎に向けた「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」(『三四郎』岩波文庫 第97刷p290)という言葉である。注釈によれば、この発言は『旧約聖書詩篇第五十一篇の詩句からの引用で、その「咎」とはイスラエルの王ダビデがその部下ウリヤの妻バテセバと通じ、バテセバを奪うためにウリヤを戦死させたことである、という。この詩句を敷衍すれば、「私は非難されるべき私の過ちを知っている。私のその罪は常に私(と我が神)の前に投げ出されている」となるはずだ。

 この言葉を美禰子が言ったときの状況は、美禰子の縁談が決まった「らしい」という不確かな噂を聞いた三四郎が、それまで借りていた金(=美禰子との関係を保つための道具)を美禰子に返して、お互いの関係を絶つこともでき、そしてお互いが対等な立場になった場面でもある。すなわち、三四郎から見ればお互いの関係がリセットされた状態でさらに恋愛へと発展させるか否かという状況であった。ただしかし、すでに縁談が決まっている美禰子は三四郎との恋愛の道を絶つしかなく、そうして「立派な人」の男のところへ良家の子女らしく嫁いでいくことを、美禰子自身がこの詩句を引用して、暗に「咎」となぞらえたのではないだろうか。そしてまた、立派な人の妻として暮らしていく限り、「罪」は美禰子の前に在り続けるのである。

 美禰子が抱えたジレンマを表したこの詩句は、『それから』と『こころ』にも根本的に一貫する意味合いを持っている。というのも、『それから』の代助と平岡と三千代、あるいは『こころ』の先生とKと御嬢さんにおける恋愛の咎=罪が物語の中心的な問題となっているのだ。つまりダビデ王になってしまうのは、代助や先生ということになる。この問題が発生するのは、「恋愛」という状況下、もう少し言えば、自由な恋愛に端を発する結婚の場面で起きてしまった三角関係においてである。漱石が『それから』『こころ』で描いたこの倫理的な問題提起を、本稿では詳しく見ていく。

 

・『それから』と『こころ』における恋愛の倫理

 明治四十二年に朝日新聞で連載を開始した『それから』は、当時の国内外の情勢や世間の風俗についても書かれている小説で、当時の読者にとっては漱石自身によるジャーナリスティックな社会批評としても読めた。また、主題である恋愛や結婚においても、上流階級の世間では近代主義的な価値観より、やはり家同士の政略的な婚姻関係を結ぶべきといった考え方の方が強勢だったはずである。だからこそ、スキャンダラスな結末が待つ『それから』は物語たりうるのである。ただしかし、その結末で代助が起こした略奪的な行動は、近代の個人主義うんぬんでは説明できない。現に代助は自身の最終的な判断を「天意」もしくは「自然」と評している。時世の風潮では片づけられない普遍的な問題を孕んでいるからこそ、未だに読み継がれている一作となっているのではないだろうか。

 『それから』の内容に分け入って、漱石が描こうとした恋愛の倫理観を見ていくと、悲劇の発端は代助が友人である平岡に三千代との結婚を周旋する際、三千代に対する代助自身の好意に無自覚であったということが分かる。そうして三年の月日が過ぎ、代助は学生時分の人情的な一面を捨て去って、内省的かつ厭世的な人格を身につけていた。他方で、平岡と三千代も東京に戻ってきた時には失業し金策と堕落に走り、あるいは子どもを亡くし病気がちになっている。

 代助は東京へ帰ってきた彼らの経済生活に手助けを加えているうちに、平岡と三千代の結婚生活が上手くいっておらず、三千代が不遇な状態にあると知った。それから徐々に三千代に対する特別な愛情を自覚していき、どうにかしなければならないと考えるようになる。次の一文はそうした代助を端的に表している。

「もしこういう態度(=正面から強く意見できない態度)で平岡に当たりながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けないほどの不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯していたといわなければならない」(p218)

 ここまでは「論理」という言葉が出てくる通り、代助は未だ近代的な思考を保ちつつあるが、それもすぐに一つの決断を迫ってくる問いにぶつかることになってしまう。

「自然の児になろうか、また意志の人(=今まで通りの離れた関係)になろうかと代助は迷った。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張った方針の下に、寒暑にさえすぐ反応を呈する自己を、器械のように束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達している事を切に自覚した」(p220)

 もはや「器械のよう」な論理では解決しえない問題を前に、代助は全てを敵に回してでも、つまり咎=罪を犯すダビデ王になってでも、「天意によって」自然の愛を信じる覚悟を決める。代助によれば、それは欲得も利害も道徳もないのだという。これは一体どのように考えるべきだろうか。その答えが『こころ』にある。

 『こころ』は、明治を終えたあとの大正三年、胃潰瘍の再発を経て漱石の没する前々年に書かれることとなる。これは百十回にわたって朝日新聞に連載された。今でも国語の教科書に載るほどの国民的な小説と言えるだろう。物語構成としては、『それから』のような現在進行形ではなく、ある人物が「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」という三部構成で自らの過去を回想する形で進んでいく。そして『それから』で代助が信じた「天意による自然の愛」が、『こころ』では「先生と私」と「先生と遺書」のなかに現れる。

 自らを「私は倫理的に生れた男です」と自称する先生(以下、「私」)は、学生の当時下宿している家族の娘(御嬢さん)に惹かれていたが、住処に困っている親友Kを助けるために自ら自分の下宿先に引き込んでしまい、そのせいでKも御嬢さんのことが好きになってしまう。仏教の修道に励んでいたはずのKは、その恋を自らどうしていいか分からず、ひとまず「私」にそのことを打ち明ける。

 ここに三角関係が露見するわけだが、これは『それから』とアナロジーな関係となっている。すなわち、御嬢さんに対する想いを告白するKに対して「先を越されたなと思いました」と「私」が悔恨の念を抱くのと同様に、代助も三千代に自らの愛を告白するとき「僕は三、四年前に、貴方にそう打ち明けなければならなかったのです」と後悔を込めて言うのである。「私」と代助は、両方ともに自らの出遅れから、そして先んじられた相手が自分の友であることから、深刻な咎=罪を犯さずして、つまりダビデ王にならずして自分の恋愛を成就させることは不可能になってしまう。

 ところで、『それから』では代助の恋心は無自覚の裡にあり、三年後の事件が起こる頃には天意‐自然の愛へと昇華する形で現れてくるが、『こころ』の「私」はハッキリとした自覚の上で、御嬢さんに対する「恋‐愛」の性質を考え、その両義性を語っている。

「とにかく恋は罪悪ですよ。よござんすか。そうして神聖なものですよ」(p38)

「本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。(中略)もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです」(p175)

 この恋と愛との微妙な関係性が、漱石が「私」に「固より倫理的に暗いのです」と言わせた理由だろう。「私」も「代助」も、ダビデ王が犯した咎=罪(悪)のごとき恋を貫いて、そうして高い極点である神聖=天意(自然)の愛へと上昇していく。この倫理的暗さを根拠付ける「罪悪」からの「神聖なもの」を考える上で最初の詩句に戻って、それを『それから』や『こころ』に適応する形で解釈してみると、後半部分である「我が罪は常に我が前にあり」は、旧約聖書の「我が神の前に投げ出された罪」ではなく、「我が女の前にある罪」として考えることができる。しかし旧約聖書の詩句は神との関係において書かれたはずなのに、なぜそれを「女」との関係において解釈できるのか。それも『こころ』に間接的にではあるが書いてある。

「私はその人に対して、殆ど信仰に近い愛を有っていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです」(p175)

 『こころ』の「私」において、恋‐愛は両義的なものである。だから神聖な信仰としての愛を人間の女に捧げることが出来るならば、恋の罪悪もまた人間の女に、しかも我が前にいる妻として「常に」立ち現れているはずだ。

 最後に、『それから』の代助と『こころ』の「私」が信じた愛とは何だったのか。それは「天意」「自然」「神聖」という言葉で「高い極点」として表現されている。『こころ』では「宗教心とそう違ったものでない」とあるので厳密にはやはり違うようである。これはおそらく特定の宗教観に基づかないからだろう。もはや単なる私見でしかないが、代助や「私」の愛は、西洋近代主義の論理では説明できない理性の向こう側へと突き抜けて行き、ダビデ王の咎と罪という徳義上の暗く重い影を纏って、それでもなお一人の女性を想わないではいられない、そうした超‐人的な法則に自ら飛び込んだ、いや飛び込まざるをえなかった男の心理ではないのだろうか。

 

 

 

 

*参考文献

夏目漱石『三四郎』岩波文庫 第97版 「注釈」大野淳一 「解説」菅野昭正

夏目漱石『それから』岩波文庫 第94版 「注釈・解説」吉田熈生

夏目漱石『こころ』 岩波文庫99版 「注釈」大野淳一 「解説」古井由吉

教科書の小話

僕は小中高ずっと授業の時間が好きではなかった。

退屈でしかなかったし、板書を写すことすら億劫だった。予習・復習なんてもってのほか。だから当然テストの成績が良かったことはほとんどないし、それは大学生の今でも変わらない。基本的に「やらされる」ことを言われた通りにきちんとやることができない、つまり未だにお子様のままなのだ。

確かに授業は嫌いだったけど、でも教科書は好きだった。

言い換えれば、「お勉強」は嫌いだったけど、「読む」ということは好きな場合もあったということだ。だから、国語の教科書にある小説の抜粋や、あるいは国語便覧に記載されている小話、もしくは歴史の資料集などを眺めて授業の時間をやり過ごした経験は数知れない。もちろん寝てることもあったし、高校生の時は隠れて漫画を読んだりしてることもあったから、いつでも教科書を読んでいたわけではないけれど。

 

なんでこんな話を書いているのかというと、最近とても部屋が荒れていて、そこらじゅうに未読の本の山ができあがっていたから、少し片づけと収納作業をしていた。そのときに、たまたま中学生の当時に使っていた国語の教科書が出てきたことが話の発端である。

「お、なつかしいなぁ」と思って、それをペラペラとめくっていたわけなんだけれども、そうしている間に当時の自分が国語の教科書を、授業そっちのけで、なにやら読み耽っていた思い出が甦ってきた。より正確に言えば、教科書ではなく、教科書のなかにある気に入った小説だけを何度も何度も読んでいた気がする。

それらを探すために更にページをめくっていくと、それらはその教科書に当時のまま載っていた。「あぁ、あったあった。これだ。」なんて思いながら、じっくりと文面を見て、そして文章のイメージをより豊かにするための挿絵も細部まで見ていく。

 

当時の僕にとって深い印象を受けた小説は二つあった。

ひとつは中国のお話で、出世して偉くなった青年が自分の故郷に帰ってくると、子どもの頃の親友がすっかり身分の低いやつれた男になっていた話。幻想的な情景描写の溢れる子ども時代の回想とは対照的な、金と権力によって乾いた人間関係が露出する現在の故郷。その対比的な構造を持つ物語に、当時の僕は何故だかとても魅入ってしまった。

もうひとつは戦時下における日本のお話。空襲の最中を逃げ惑う母子の話で、父親は南方に出征している。母子は食糧と引き換えに衣服を売ったりして、貧しい生活を送っていた。ある日、アメリカ軍の飛行部隊がやって来て街に爆弾を落としていく。母は子を守るために、自らの身体を盾にして子の上に覆いかぶさって抱きしめる。最後は戦火によってカラカラに渇いた母の身体が強い風に吹き飛ばされて空高く舞い上がっていく。戦災孤児となった子はそこで母を待つためにうずくまって痩せ衰え、ついには空から迎えに来た母と一緒に高く高く天へ昇っていった。

 

どちらも決して愉快な話じゃないし、実際のところ悲劇的な内容だ。ただおそらく、当時の僕はこれらの作品によって、初めて「言葉の力」を見たのだと思う。物語の凄味、あるいは言葉の芸術性を感じたのだと思う。だから当時の僕はこの二つの作品の作者や訳者、あるいは歴史的な背景を知らなくても、文章の奥にある多彩な情念に触れることができた。今、小説を溺れるように読んでいられるのは、この二つの作者と訳者のお陰とも言えるかもしれない。

ところで、この二つの作品は誰のどんなタイトルの作品だったのか。

一つ目は、魯迅『故郷』(訳 竹内好

二つ目は、野坂昭如『凧になったお母さん』

今の僕がこの作者と訳者を見たとき、「なるほど」と膝を打つような思いがした。

魯迅は言わずと知れた中国の文豪であり、日本とも深い関係のある人で、しかも中国文学史の第一人者でもある。清朝末期から辛亥革命を経て中華民国成立までの動乱の時代を生きた思想家とも評されていたりする。

そして訳者の竹内好は、明治末期から第二次大戦後までを生きた中国文学者であり、マルクス主義の風潮が吹き荒れる言論界のなかでまったく別のアジア主義の立場をとり、日本の近代を深く批判する『近代の超克』論を説いて異彩を放った評論家でもある。

野坂昭如は、日本人なら誰もが知ってると言っても過言じゃない「火垂るの墓」の原作者で、第二次大戦と戦後の日本社会を生き、今もまだご存命だ。新聞を読む人なら一度ぐらい野坂のコラムを読んだことがあるかもしれない。活動の幅は広く、小説家やエッセイストのほかにも作詞や歌手、そして政治家まで務めたことがある。自身の幼少のころの体験に基づいて書かれた戦争に関する児童文学作品も多い。

 

本当に素晴らしい作家の文章は、不勉強で不真面目な中学生でも関係なく、その心を鷲掴みにするのだと思う。『故郷』も、『凧になったお母さん』も、そのことを僕に教えてくれた。ただ実はこの二つの作品についての授業はまったく覚えていない。しかし、教室の殺伐とした風景が一瞬にして物語の世界へと変わってしまうような、あの不思議な体験ができただけでも価値のある時間だったと思う。

皮肉なことに、子どもは教わったことを覚えず、教わらないことから学ぶのかもしれない。少なくとも、中学生の僕は「文学」を教科書の中から自ら掘り出した気がする。

 

 

本当の近況 旅としての独学

・はじめに

 「自分を変えよう」

 そう思って学問の扉を叩いてから1年半が経とうとしている。今回の記事は、とても個人的な振り返りに終始する。その理由は、春休みにやったことの振り返りを簡単にフェイスブックに書いたところ、意外にも「いいね」の数が30以上ついたからである。

 そんな些細な、大したこともないことで、一体なぜこの記事が書かれるに至ったのか。それは一か月も二か月もかけて準備したブログ記事に対するフェイスブックでの反応に比べて、中学生でも5分足らずで書けるような文章の方が圧倒的に他人の注目を集めていることに気付いたからだ。そしてこの後者の投稿内容が僕の近況として他の人に理解されてしまうことに、僕自身がとても戸惑っているからでもある。だからこの記事のタイトルは「本当の近況」なのである。

 今の僕にとって、行動レベルでの僕は大した意味を持たない。誤解を招くような言い方になってしまうので付け加えるが、思い出や楽しみだとかの話ではもちろん意味があるし、価値がないとは決して言わない。ただ「今の僕」の中心軸が、内的な自分もしくは「考える自分」に据えられているために、実際の行動には本心として希求するような意味がほとんどないのである。他方で「考える自分」はどこに具体化するのかといえば、それはこのブログ上であり、すなわちテクストでの実践とも言える。

 

・旅としての独学

 もし休学期間が「独学としての旅」だとしたら、この一年半は「旅としての独学」なのだろう。例えば、シエラレオネでボランティアをしていた時点での自分を説明するには、それに至る経緯を説明しなければ個人的には不十分だと思う。それと同様に、今の自分を説明するには「旅としての独学」における今までの道程を説明しなければ不十分であると考える。

 「独学としての旅」は分かりやすいにしても、「旅としての独学」は意味不明に思われるかもしれない。独学とは、僕の私見でしかないが、自分本位の興味と関心で何かを学び得ていく営みである。裏を返せば、「やらされること」からの逃避とも言える。好きな事を好きな時に好きなだけ学ぶこと、これだけである。

 では、何故その独学が旅として喩えられるのだろうか。それは端的に言って、行動指針が旅と同一だからである。旅も、好きな場所へ好きな時に行き、そして大抵の場合は好きなだけ滞在することができる。少なくとも僕の旅はそんな感じであった。このことから、次のように言うことができる。独学は旅と同様に自由である、と。

 

・独学の旅路

 実際の旅における始点は、大抵の場合には自分の住む町だろう。しかし「旅としての独学」においては、僕は「自分の住む町」がなかった。つまり専攻も専門も何も無かったわけである。一応、人文学部ヨーロッパ文化学科という所属は与えられているが、これはとても広範囲な区分であり、そのなかで一体どんな分野が自分の関心に近いのかよく分からなかった。それに加えて、前文と矛盾するようだが、なぜその範囲に自分の学問を限定されなければならないのかも、よく分からなかった。

 そんな状態で旅が終わった時、僕の問題意識は貧困と人権にあった。そして、これらに対するアプローチとして開発経済や国際人権法があることも知っていた。ただしかし、深刻な問題ほど、その構成要素として複雑で、なおかつ歴史的な重層性を孕むものであるという直観をこの時の僕は得ていた。そして、これこそが当初の僕にとって最も重要だったのだが、その問題を世界という人間社会の全体像のなかで捉えることが必要なのではないかと、浅はかにも思ったわけだ。

 上記のような理由で、学問の様々な領域において「立場なき状態」のまま、色々な分野に入っては出ていくということを繰り返している。「色々な」とはいえ、基本的には文系科目に限られているし、人間社会を根底で形作っている「哲学」や「思想」と呼ばれる分野に偏っている。以下にざっくりとした変遷を羅列してみようと思う。

 実存主義哲学・不条理文学→構造主義哲学→仏独文学→カントの平和論→マルクスの経済学・哲学→日欧の現代思想法哲学倫理学→都市社会学・郊外論→日本の政治思想・文芸批評→歴史学物語論(現在)

 以上のそれぞれは、どれもが中途半端に終わっている。「かじった」と言ってもいいのか不安になるぐらいに半端である。大体1~2か月単位ぐらいで学問領域を移動していて、某大学が喧伝するところの「横断ゼミ」ではないが、こうした領域を横断的に独学しているような状態にある。だから「旅としての独学」なのである。

 アジア・アフリカを旅してきて、なぜヨーロッパの哲学を中心に学んでいるのか。結局は学部学科に影響されているのではないのか、という疑問が浮かぶかもしれない。僕の中で学部学科はほとんど関係ない。結果として、そうなっただけである。というのも、アジアやアフリカの現在を知るためには、以前の西欧における帝国主義的性格を持つ資本主義、政治や経済をはじめとしたポスト・コロニアルな状況、もしくは白人男性中心主義の問題、欧米発のグローバリズム、これらを学ばなければならない。遠回りに思われるかもしれないが、問題の表面だけを知ったかぶることはしたくない。

 

・本当の近況

 去年の秋以降、自分の関心が日本に近づいてきた。具体的に言えば、都市社会学と消費社会論から見る郊外の様相、法哲学や刑法から見る日本の死刑制度、日本の政治思想から見る戦後民主主義の文脈、日本文学や20世紀における文芸批評、そして物語論から見る日本の社会史などだ。

 旅をしていた時に痛切に感じていたことの一つとして挙げられるのが、これは海外に出ていた学生たちも同じことを言っていたが、僕は日本を全然知らないということだ。その問題意識を抱え続けてきたために、今こうして日本の問題に向かっているわけである。

 これはある意味で、自分自身の現実に接近しているとも言える。ただしかし、世界という空間的な広がり、時代という時間的な流れ、これらを哲学や思想の文脈で踏まえた上で日本に近づいているのである。例えば丸山眞男が、明治期から今まで、日本の学問区分や政治制度は「西欧からの輸入物」であり「タコツボ型」であると断じたように、そして村上龍が、アメリカの思想はモノであり、被占領国国民はその思想としてのモノから距離を取れないと言ったように、いつの時代でも日本は多分に外国の影響を受けている。

 だからヨーロッパとアジア・アフリカを切り分けることができないと前章で説明したように、世界と日本も切り分けることができないのである。「グローバルな視点」というフレーズをよく見かけるが、それはこうした意味で合っているのだろうか?僕には分からない。「グローバルな視点」とは何か、誰か僕に教えてほしい。

 ともかくだが、日本の、自分の、現実とやらに僕は近づいている気がする。そしてなんとなく思っていることだが、ここから更に近づいていくには実学へ入っていく必要があるのかもしれない。技術としての実学ではなく、知識としての実学、つまり実定法や労働経済や政治学や統計社会学などである。ただそこへ立ち入るのかどうかは、正直なところ分からない。

 今では哲学専攻を一応は名乗っているので、そちらをきちんと修めたいとも思っている。「かじった」だけでは、やはり自分が納得いかない。だからヨーロッパの近代哲学から哲学をやっていくのが妥当な道だろうと思っている。

 ただし、ちょうど今は、歴史学民俗学や文学などを横断する形で物語論を始めてしまったので、なかなか戻れそうにないのが現状だ。物語論をやり始めたのは、単なる知的好奇心だけではなく、この現実世界に対する僕の問題意識ともリンクしている。というのは、最近の国内外の状況が関係していて、言わずもがな「イスラム国」の問題である。

 ここで細かく言及はしないが、イスラム国はコーランという物語に依拠した行動を起こしていて、他方でアメリカは9.11以降から西部劇に似た原理で動いてるように見える。イスラム教世界VSキリスト教世界、共同体主義VS個人主義、元被占領国VS元宗主国前近代的な信仰VS近代的な理性、こうした様々な対立軸が多重的に世界を覆っていて、この状況に対する世界認識が、冷戦構造のイデオロギー的対立に代わって、一元的に物語化しているように思える。こうした問題意識があるために「物語論」を今から独学してみようと考えているわけだ。

 長くなってしまったが、これが僕の「本当の近況」であり、「旅としての独学」の現在である。学問は際限なく楽しい。この世界を出るにはもう少し時間がかかる。