遠方への私信

この文章を誰に宛てるのか、ということなのだと思う、結局は。それが定まらないせいで2万5千字ほど捨てた。だから、はじめにはっきりさせておこう。

この文章は―――、こう書き出して、なるほど私信を不特定多数に公開するということは、よほど社会的な意義がないかぎりただの無駄事なのだということに気づく。しかし、そうでもしなければ書き出せそうにないと悟ったとき、Sか、Kか、もしくはYかHか、自分の形成史にとって重要な人物たちの顔が、脳裡をちらちらとよぎる。それで迷いに迷ってたまらずこう書くのだ。

―――遠方の友へ

会社を辞めた。大学院に進学しようと思う。

サッカーのことしか頭になかったような人間が、あろうことか「思想」などという眉間にシワが寄るようなことを研究するんだという。まったくバカバカしい話じゃないか。ご存知の通り、おれはバカバカしいほどにクソ真面目だ。

あれからの紆余曲折はどうだろう。君もだいたいのことは知っているはずだ。おれがラッパーの真似事をして、フラフラと旅に出て、帰ってきたら学生団体をやり、学祭ではカフェを開き、最後に支離滅裂な論文を書いたと思えば、それで何を勘違いしたのか、出版社に転がり込んだことを。そして、そこも飛び出してお次は大学院ときた。

本当に冗談じゃない。おれの落ち着きのなさを誰かが「若者」とか「青春」とかいうマジックワードで説明するたびに(その裏側にはそいつの「挫折」や「諦観」というジットリした自意識がこびりついている)、おれはこの独り相撲のチキンレースをどこまでも過激にしてやろうと決意を新たにしたものだ。そのようなわけで、もはや文字に起こすことも厭になるほど、こういう転換点では色んな人から同じような似たり寄ったりの説教を喰らってきた。

まったく冗談じゃない。こちとらいつだって自分の熱量に耐えうるものを求めてきただけだ。見ている方が恥ずかしくなってくるほどに剥き出しの愚直さと傲慢さを武器にしてきた。では、歳を重ねればこの熱も冷めるのか。自分の身のほどを知ることができるのか。それならば、おれは一刻も早く時が進むことを願ってやまない。時計の針よ、頼むから早く進んでおくれ。そして、どうかおれにも「挫折と諦観」の小唄を歌わせてくれ。ちなみに、おれはとびきり音痴だ。

よくない、よくない。おれはなるべく謙虚な青年でいるべきだ。羊のようにおとなしい態度でいるべきだ。それにしても、おれのことをよく知っている君に訊きたいのだが、おれが真っ直ぐであろうとすればするほど、この生を燃やし尽くそうとすればするほど、人から横殴りにされ、冷や水をぶっかけられ、笑い者にされるのは一体なぜだろう。そのことがさっぱり分からないまま25歳になった。やはりおれは愚にもつかない大馬鹿者だろうか。しかし笑っているつもりのヤツが、実は笑われているということに気づかないのはよくあることだ。つまり、おれはどうであれ常にドン・キホーテだが、サンチョ・パンサが批評下手じゃお話にならない。

やめよう、やめよう。こんなくだらない話は。ここからは最近と今後の話をしよう。

平岡正明という戦後きっての大馬鹿がいた。もう死んじまってるけど。彼はおれの研究対象だが、こいつがかっこいい。何がかっこいいって理由は色々あるが、まず革命運動(安保闘争のことだ)が挫折したあとで、社会がまるごと青ざめるようなニヒリズムをコーラの氷みたくガリガリ噛み砕きながら、「革命」の銅鑼を叩きまくり、「黒人ジャズ」のリズムにのって、「犯罪者」と「赤軍」を理論的に評価し、果ては大胆にも「右翼思想」をビートジャックさながらに「左翼革命」へとリミックスしてみせた。この超弩級のパワーとスケールに、おれは賭けようと思った。

おれがこんな文体になったのも、平岡正明のせいだ。ただ今回はすこしアレンジしてあるから、まったく似ているというわけではないけど。ともかく、おれは平岡正明を読んで文体から変わろうと思ったわけだ。平岡も言うように「文体は思想である」からな。つまり、おれはおれなりに「型」を発見したわけだ。

それで手始めに『日本語ラップfeat.平岡正明』という文章を書いた。半分は批評、もう半分はアジビラ、あるいは音楽論と革命論のごちゃまぜ。これも完全に平岡正明のコピーとは言い切れない。というのも、平岡らしく攻撃的な口語体にしようとすると、不思議なことにヒップホップ特有のスラングや言い回し、あるいは押韻が出てきたからだ。

思考の速度に文章のリズムを追いつかせようとしてみた結果、これをもっと極めていこうと思える論文ができた。もちろん言うまでもなくまだ未熟。ともかく色んな人に読んでもらった。名前を出すのはどうかと思うから伏せるが、ヒップホップ批評の最前線にいる人たち、おれよりずっと秀でている読書会仲間、ツイッターで知り合った大学院生や若手の批評家、平岡正明をよく知る民俗学者、こういう文章に慣れていない友人、若いころ平岡正明のファンだった老人。

結果は賛否両論。そしてプロの目から見れば、まだまだ足りないところが多すぎるとのこと。しかし、大事なことはそういうプロの目から見ても良いところはあるという評価を貰えたことだ。人によっては絶賛してくれたりもした。おれはとてもうぬぼれが強い人間なので、初めての試みでここまでの評価がもらえたことによって、ひとまずは成功と言っていいと思っている。

そして、これからだ。ネタは五つも六つも準備している。修士二年間では収まらない規模の構想がおれの脳みそに詰まって、あまり整理がつかないほどだ。これではよくないと思い、夜な夜なノートに手書きでヘタクソな図を書いてたりする。

ところで、九月から神戸に行く。とある大学のとある教授が、寛大にも物好きにも「おまえの研究はウチじゃないと無理だろうから来なさい」と言うので、へぇそれじゃ遠慮なくというわけで、東京をおさらばすることにした。グッバイ・トーキョー。

半年のあいだは受験勉強をしつつ聴講生。英語と古文を今からやり直さなければいけないのはとても骨が折れるが、まぁやるしかない。それに加えて初めての一人暮らしで貧乏生活だ。われながら思うが、まったく無茶としか言いようがない。ちょっとした計算でもって計画を立てることができる人なら、即座に立ち止まるような状況だ。

しかし、おれは計算が苦手だから止まることができない。君も知っている通り、数学は赤点ばかりの人間である。ついでに言うとエクセルさえロクに使えない役立たずだ。その役立たずが自ら進んでサラリーマン階級からルンペンに落下しようというのだから、おれもだいぶ物分かりがよくなったと言うべきだろう。最近話題の「生産性」とやらに照らして言えば、子どもはおろか、まるで将来性などなく、生産できるとすれば紙ごみぐらいなのだから、おれは一刻も早く社会から退場するべき存在である。

しかしそうは問屋が卸さない。仕事を辞めることが決まって、一本の論文(という名のアジビラ)が完成して以降、おれはむしろ行動的になっていっている。この数年間の腰の重さや社交に対する億劫さが嘘のように、ある意味ではかつてのように、おれの足取りは軽い。厚かましくも、毎日のようにこのアジビラを誰かに送りつけている。

さて、遠方の友よ、やっぱりおれは人生の方法をひとつしか持つことができなかった。ストレート、ストレート、またストレートだ。おれは本質的な意味で何一つ変わっちゃいない。そして逆説的だが、変わらないために変わり続けてきたのだと思う。いつかこの方法にも限界がくるかもしれないなどという利口な反省はいっさいない。すでに書いたが、これは独り相撲のチキンレースだ。

さぁ、どこまでいけるかな。おれは楽しみでしかたないよ。