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或る蛮人の書誌

読書記録と雑文集

複線的な文脈の終わり

 何の事情も知らない人からすれば、以下の文章は意味の分からないものになってしまうことを先に断っておく。あるいは、断片的に知っていて理解できるが、ところどころで知らないことがある人もいるかもしれない。というのも、これから書く話は、僕のケジメについてであり、そして決意でもあるからだ。要するに自分語りである。

 

 2014年が終わるとき、だから僕は大学五年目の手前、同年代は就職先を決めて卒業も間近になったころ、僕は泥沼の底へと静かに沈んでいくように読書を始めた。いや、この表現はあまり正確ではない。むしろ頭は、つまり思考は生活から離脱して上へと浮遊していったのだった。そこでは、そこから見える世界では、馴染みのない概念や術語、驚くばかりのレトリック、ハッとさせられるような認識の転回が、羅列され、繰り広げられ、指示されていた。そうして無数の言葉が、時には明晰さのために、時には攪乱のために、頭の中で渦巻いていた。

 鳥肌の立つような興奮の連続、一人で叫び出したくなるような読書体験は、僕を本の虫にした。すると、まず人付き合いがどうでもよくなった。次に服装や食事も次第に意識から抜け落ちていった。そして最後には、深夜が一番読書に集中できるという理由で生活リズムも崩壊した。日常から人や物や出来事の固有名詞は失われ、抽象的で思弁的な言葉が世界を形作っていった。社会のこと、生活のこと、その大体のことは問題にならなかった。僕にとってこの時から新たに問題となったのは、根源的であり理念的なことだった。換言すれば、この世界を自分はどのように認識するのか、この世界で自分は何を基準に判断するのか、そしてこの自分は一体何なのか、といったことだけが問題になった。それに付け加えるならば、残り少ない小銭で煙草と本のどちらを買うかということぐらいだった。

 当然、社会性もしくは社交性などという性質が―――それは以前まで自分のなかで相対的に優れた部分だったのだが、いつの間にか失われていった。一日の全てが頭や意識のなかで行われた。一日が始まると、大学で講義を受け(時にはサボり)、それから新書を読み、次に漫画を読み、アニメを観て、文章を書き、さらに専門書を読んで、そして古典を読んで、またアニメを観て、それから小説を読んで、飽きもせず文章を書いた。こうした読書と物書きのほとんどの時間はファミレスで過した。この生活とも呼べない日々を過ごしているうちに、月、週、日付、曜日の感覚もどんどん消えていった。唯一数えていたのは長期休みまでの残りの日数だった。

 明らかに自分が変わっていくのが分かった。ひとつひとつの哲学的・文学的な固有名詞が、赫奕として爆ぜる木炭のように見え、その熱でカンカンになった頭を抱えて不器用な文章をひたすら書き殴った。これは俗に言う「頭でっかち」というやつである。そのような反省が当時の僕にはまったく無かったかといえば、もちろんあった。ただしかし、知識も語彙もない頭では、震災や旅の実体験を思い出のなかで酸化させ腐らせるだけだと思った。その考えは今でも変わらない。

 

 以上に書いたような月日は二年半も続いた。あっという間に過ぎた時間のなかで、僕は厭味っぽくて皮肉屋の教養主義者となっていき、太っていく身体に反して神経はガリガリに鋭く砥がれていった。気だるくて憂鬱なのはいつものことで、本を読んだり文章を書いたりするときだけ頭がキリキリと冴えだすようになり、そしてテクストや学問的知識から現実や他人を解釈するのもくせになっていた。

 まだ教養主義が学生のステータスだった頃ならば、周りと一緒になって将来のいくつかの可能性をオシャカにすることができただろう。衒学的で曖昧な議論に明け暮れ、鬱蒼とした雰囲気を纏って、大学という揺りかごのなかで偉そうな態度をとることができただろう。だが残念なことに、今この時代においてその姿は滑稽そのものだった。大正教養主義も、昭和モダニズムも、戦後の学生運動も、遠い歴史の彼方でわずかに輝いているだけだった。この時代はグローバルかつイノベーティブで、サブカルがポップで、オルタナティブがメインストリーム―――わけが分からないことを言っているのは承知している、そういうものが礼賛されていた。そしてこのとき僕自身、学問で食べていけるだけの気概も知識もなかった。要するに、僕の読書はどこまでも趣味にしかなりえなかった。

 ファミレスで本を読んでいる時間が幸福だったというのは、まったく疑いの余地もないが、それは引き延ばされた袋小路でしかないこともまた確かだった。それは喩えるならば、テレビゲームで壁にぶつかったキャラクターに対してそれでも前に進ませようとすると、壁は微動だにしないのにそのキャラは愚直に壁の前で歩き続ける―――あの滑稽な不条理だった。この停滞感と焦燥感はついに、自分の部屋の本棚を風呂敷で隠すまでに至った。本は読みたいが、しかし本を読んでいる場合ではない、就職先を決めなければならない、部屋の本棚を見ていると苛立ちや苦痛が込み上げてくる。だから本棚の表面を見えないようにした。そうした葛藤があった。

 2015年が終わり、2016年が始まって、この状況はより厳しくなった。他にも色々な出来事があって、そちらの方が実はつらかったのだが、それは書かない。ともかく様々なことが重なって、自分が追い詰められていくのが分かった。大学六年生、進路未定、貯金ゼロ、資格なし、単位も卒論も残っている。この時は、昼は落ち着かなくて、夜だけ安心できた。吐き気と頭痛が止まらない日もあった。憂鬱は常に瞼の裏側に張りついていた。公務員試験を受けようとしていたが、それもやめてしまった。部屋の隅で参考書や問題集の山がホコリをかぶっていた。ふいに、ここで人生をやめれば全て最高の思い出になる気がした。

 

 深夜のファミレスでひとり、ほとんど白紙に近い履歴書を目の前にしたとき、自分の視点が現実の日常生活に再び降りてくるのを感じた。そこに映ったのは、何も生み出さないまま知識を消費する自分であり、他者を喪失し内面をひどく肥大させた自分であり、そして饒舌なだけのワナビーとしての自分だった。学問や教養に対して、一切醒めることもできず、しかしそれへの情熱は他の学生に比べればヌルくて、何もかもが中途半端だった。

 今の僕に何ができるか。なるほど何もできない。では、何がしたいのか。言い換えれば、どんな環境や立場で、何を生み出して、それを誰に届けたいのか。考える、考える、考える、考える―――。

 社会問題や人文学に関心がある人たちと一緒に、言葉を練って、問題提起の力がある本を作って、それを必要としている人たちに届けたい。そして、そう思わない人に対しては、それが必要だと思わせたい。社会や他者に向き合う言葉を発しつづけたい。

 出版社に就職しよう。やりたいことをして働き、自分の手で暮らしを立てよう。

 そう思ったとき「日常生活」が、今度は反省的に自分の問題として現れた。日常は自明ではなく、生活は他者の存在を不可欠としていた。何を当たり前のことを、と思うかもしれない。しかし「当たり前」や「日常」といった現実の生活を自覚的・内省的に考え、そして自らの手で構築していく態度を、僕の場合は現実の生活を離れることで逆説的に手に入れることができた。だから僕のなかで認識は、下から上へ、上から下へと、二度転倒したことになる。以前までの自明な毎日は、一旦抽象化・客体化され、構造や記号として、あるいはそれらの関係として俯瞰的に認識されたのち、再び都市現実や日常生活として生きられる主観のなかに現れた。

 出版の仕事をしながら日常を生きるということは、このブログのタイトルである「複線的な文脈」の終着点、そのピリオドを意味しているように思えた。気取った言い方をすれば、言葉と生活を、精神的な営みと社会的な営みを、弁証法的に止揚することが一つの課題となった。こんな遠回しな言い方をしなくても、要するに「就活」と言ってしまえばそれまでなのだが、まぁ自分にとっては以上のような意味内容があったわけである。

 

 こうしてアホらしい精神劇を一人で黙々とやっていたのが、昨日までのことである。それで今日、とある学術・評論系の出版社から内定の連絡を頂いた。企画編集と営業をやらせてもらえることになった。近いうちバイトに来てくれとも言われた。毎日のコーヒー代や煙草代すらままならなかった自分としては本当に有り難いかぎりである。

 僕の内面に広がっていた複線的な文脈は、今ひとつの合流点に辿り着いた。そこは世間で不況・斜陽と言われる出版業界である。だが、それが一体何だろうか。だからなに、と言うべきである。いくら稼ごうが、いくらデカくなろうが、金や地位を墓まで持って行くことはできないし、たいていの組織は100年や200年も経てば跡形もなく消え去っている。

 ならばどうするか。「いま・ここ」で「あなた」に向かって、今の僕が持つ最高の言葉を差し出す、それしかないだろう。もしかしたら受け取ってもらえないかもしれないし、結局は無意味かもしれないが、それでもやる、やり続けるのである。この強度を鍛え上げるための大学六年間だったのだ。今となってはそう思う。